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起訴状況 |
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殺意をもってした行為の結果、亡くなられたのが2名なので殺人罪適用は2名になりますが、怪我をされた方々に対しても殺意をもって行為をした結果なので殺人未遂になります。
第一の犯行と第二の犯行が、19日と23日と明らかに日にちのずれがあります。19日の犯行を初犯とすると、23日の犯行が再犯になり、同じ2名殺害でも悪質の度合いが高くなります。 ※ 死刑がやむを得ない場合|死刑執行方法 |
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時系列 |
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今回の犯罪行為を死刑適用基準と照らし合わせてみると・・・ |
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死刑に関して のページの 死刑適用基準 で紹介した以下の12項目の要件をこの事件の場合に当てはめて考えてみます。
このように、本件を死刑適用基準に照らしてみると、要件を満たしていますから、後は、刑事責任能力の有無、情状酌量の有無によって、量刑が決まりますが・・・ 刑事責任能力が有り、減軽するまでの情状酌量要件が無ければ、そのままですから・・・ 判例に沿えば、死刑が止むを得ない事例になります。 |
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刑事責任能力について |
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無差別殺傷事件では、多数の目撃者が存在している場合が多く、検察側が、証言などから犯罪行為を立証しやすいという面があります。 この事件の場合も、証拠が多く起訴事実が明らかなので、被告は初公判で起訴事実を認めていますが・・・ 本件の犯罪行為を死刑適用基準の要件と照らし合わせてみたら、要件を満たした状態になっているため、そのままでは、死刑が選択される可能性が高いです。 弁護側は、何らかの減軽要素をもって、被告の弁護をするのが職務ですが、どちらかと言うと、酌量減軽を願おうにも、被告の態度には反省の色なしで酌むべき事情を見出せない状態になっています。 それでも、被告の弁護をしなければならないのが、弁護人の立場です。
衆人環視の中での無差別殺傷という行為は、その行為自体が尋常ではないですし、減軽できるとしたら、刑事責任能力の部分しか残されていないので、弁護側は、公判で被告を弁護するために、争点を刑事責任能力にしています。 死刑判決が出された場合には、刑が確定すれば、いつか執行される日が来て、被告に死が訪れるのですから、判決に間違いがあってはいけません。 死刑判決の場合には、確実に刑事責任能力有りでなければいけませんから、死刑が選択される可能性がある事例については、刑事責任能力について答えを出しておく必要があります。 |
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起訴前の精神鑑定で診断された「自己愛性人格障害」について |
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被告が、犯した殺人の動機、「死刑になりたかったから」というのは、普通では考えられない理解不能な動機なのですが・・・ 何故、そういう考えに至ったのか? を考える際に、検察が起訴前に行った精神鑑定の診断結果「自己愛性人格障害」の診断基準の要件が参考になると思います。 「自己愛性人格障害」とは、簡単に言って、ありのままの自分を愛せず、「自分は優越的で素晴らしく特別で偉大な存在でなければならない」と思い込む人格障害です。 もっと分かりやすく書くと・・・ 元々人間って弱くて小さな存在なのですが、その弱さや小ささを認めたくなく、自分は強くて偉大な存在だと思い込むわけです。
上記の9要件の内、5要件以上に当てはまれば、「自己愛性人格障害」の可能性が高くなるのですが・・・ 事件報道の事実などから知る限られた範囲の事柄や被告の言動からだけでも、要件と比較すると、9要件全部に該当してるような気がします。 ちなみに、この人格障害は、法で必然的減軽になる心神喪失・心神耗弱状態にはなりません。完全に刑事責任能力を有します。何故なら、(9要件で分かると思いますが)分かっていて故意に殺人行為を犯しているからです。 |
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死刑願望の被告が、初公判中に失神って・・・ |
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「死刑になりたかった」からと、無差別殺傷事件を起こした被告が、公判で被害状況の証拠調べをしている際に失神した? 自律神経のバランスが崩れ、心拍数低下、血圧低下などが起き、脳血流が低下して失神する血管迷走神経反射? 精神的ショックや情緒的ストレスが原因の? 被告自身がしたことなのに、それを見て精神的ショック(情緒的ストレス)を受けたの? 血管迷走神経反射性失神をするようでは、犯行時に被害者の状況を見て、同様に失神してしまうことだってあるのに・・・ そんな被告が、無差別殺傷事件を起こしているのは、紛れも無い事実なんだよな。 ・・・・・ だからか? 頸部を狙ったのは、頸部なら一箇所でも、切り付ける場所、深さ次第で動脈を傷つけ致命傷になるから、何度も同一人物に刺す必要がない(振り返らない限り相手の惨状を見ないで済む)。 止まって、同一人物に何度も刺そうとすると、自分が捕まえられて、反撃される可能性も高くなるし、周囲にいる人が被害に遭っている人を助けるために、犯人に応戦することもある。被告自身が持っている武器を落とされたが最後、袋叩きに遭い怪我をする可能性があるので、捕まらないように振り返らないで通り過ぎながら頸部を狙って切り付けていった。 被告にしてみれば、被害者数が2人でも9人でも関係ないため、被告自身が怪我をしない(被告に対して手を出さない)安全な場所(交番)にたどり着くまで刃物を振り回し切り付けていったので、被害に遭った人が多い。 あくまで交番に出頭したのは、自分の身を守るための避難場所として利用した。 いつまでも交番に一人でいると、被害を与えた誰かが自分を探し反撃される可能性があるから、早く逮捕されたくて自分から居場所を警察に連絡した。 逮捕の際、抵抗すると、自分が痛い目に遭う可能性があるから、無抵抗で逮捕された。 ・・・と、考えると、辻褄が合ってくるな。。。 と、言うことは・・・ 荒川沖の無差別殺傷事件は、死刑になるために被告なりに考えた計画殺人で、完全責任能力ありだな。 |
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被告が、失神を「エコノミークラス症候群だった」と言っているようですが・・・ エコノミークラス症候群の症状を勘違いされる方がみえないように、少し追加して書いておきます。 エコノミークラス症候群は、肺血栓塞栓症と深部静脈血栓症を併せた疾患概念の静脈血栓塞栓症です。 血栓症とは、血管内で出来た血の塊(血栓)が血管に詰まり、血流を妨げることで、いろいろな症状を起こす疾病です。 もし静脈血栓塞栓症で気絶するほどの状態であれば、血栓によって意識を維持できなくなるほど血流が滞った状態ということになり、かなり重篤な状態になります。最悪の場合、そのまま突然死していても不思議でない状態ですが、被告は少し時間が経過した後に裁判に復活しています。気絶するほどの静脈血栓塞栓症ではありえません。 それに対して、血管迷走神経反射性失神は、心拍数低下、血圧低下などで脳血流低下を起こし失神しますから、脳血流が戻りさえすれば元の状態に戻ります。意識が回復すれば、容易に裁判に復活できますので、失神後の公判での被告の行動に合致します。 |
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精神的ショック(情緒的ストレス)が身体に及ぼす影響 |
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別のコンテンツの性教育のすすめのストレスが身体に及ぼす影響のストレスが原因と考えられている主な病気で、ストレスの蓄積によっていろいろな疾病を誘発してしまうことについて書いていますから、ここでは簡単に書いておきます。 人間なら誰もが持っている身体のメカニズムに、ストレスの蓄積 → 自律神経系に影響 → ホルモンバランスを狂わせる → 心身に変調をきたす というのがあります。 一度に大きな精神的ショックを受けると、その大きなストレスによって許容限度を超えてしまい、自律神経系が影響受け、ホルモンバランスが狂い身体に変調をきたすことになりますが、一度に大きな精神的ショックでなくても許容限度を超えるくらいストレスを蓄積してしまえば、同様に自律神経系が影響を受け、ホルモンバランスが狂い身体に変調をきたすことになります。 公判での被告の様子を書いた記事から推測すると、徐々に影響が出てきて、その後失神していますので、被告の場合は、前者の一度に受ける大きなストレスではなく、後者のストレスの蓄積によって許容限度を超えた場合である可能性が高いように感じます。 それにしても、何故、失神してしまうほど、(情緒的)ストレスを蓄積してしまったのか? を、被告に当てはめて考えてみます。 被告は、これまで、人前に出ることを、あまりしていませんでした(人前での振舞い方に慣れていません)。 公判は、裁判官、検察官、弁護人だけでなく、遺族、記者などの傍聴人もいる中で行われます。それらの人達の視線を一身に受けた状態で裁判が進行していきます。 被告は、自分の弱さ、小ささを認めず、自分が強く、偉大な存在でなければならないと思い込んで生きています。 実際には自分の弱さ、小ささを認めていないだけで、自分が弱いことも小さいことも分かっていますが、自分が強く、偉大な存在でなければならないと思い込んでいるため、弱く、小さい自分を強く、偉大な存在であるように見せなければいけません。 拘置所におけるメディアのインタビューであれば、口だけですし、短時間ですし、記者は少人数ですから、虚勢を張り、強そうな姿勢を見せることも可能ですが、長時間、衆人環視の元にある公判では、そういうわけにはいきません。 弱くて小さい存在なのを強くて偉大な存在になるように振舞うために、精神的には、緊張し絶えず自分自身に対してストレスをかけている状態になっています。 そんな状態なのに、被告が見たくないと思っている証拠写真の連続です。 人は、自分にとって嫌な物を見る場合は、長時間なら言うまでもなく、短時間であっても、ストレスになります(ちなみに、私は人体解剖をよくしてきましたので、その手の画像は何ともないのですが・・・ ゴキブリは見るのも嫌いですから、ゴキブリを見るとストレスになります)。 被告は、強い振りをしなければなりませんので、見ないわけにはいきません。たまに見るのですが、見たくなくても、嫌でも目に飛び込んでくるくらい、見たくない部類に属する証拠写真が多いので、その都度、その画像が脳裏に焼き付き(情緒的)ストレスが追加されていきます。 結果、(情緒的)ストレスがどんどん蓄積されてしまい、許容限度を超え、自律神経系が影響を受け、ホルモンバランスが崩れて心拍数や血圧が低下し、脳への血流も低下して失神してしまった。。。 ように感じます。 いくら長時間の公判でも、ありのままの自分を出していれば、自然体ですから、ストレスを蓄積することも少なく、普通なら何の問題ないのですが・・・ 被告は、自分自身でストレスを蓄積していくように振舞っていますので、身体に影響が出たとしても何の不思議もないですね。。。 |
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何故、被告は死刑になりたかったのか? |
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いくつかあると思いますが・・・ まず、頭に浮かぶのが、「懲役刑になりたくなかったから・・・」ですね。 被告は第一の犯行で縁のない人に対して殺人行為を犯しています。第二の犯行前に、容疑者として特定され指名手配されていますから、その時点で捕まれば、刑期の長短は別として、懲役刑の実刑になるだろうことは被告も容易に予測したと思います。 懲役刑は、簡単に言って、強制労働ですし、刑務所において雑居房で他の受刑者との共同生活です。 強制労働ですから、働きたくないのに、働かされますし・・・ 凶悪犯罪を犯した海千山千の受刑者に対して、被告の虚勢が通用するわけもなく、変に虚勢を張ろうものなら、逆に被告の心を見透かされ、焼きを入れられるのが関の山です。 自分が怪我をすること自体怖いので、そういう受刑者達と一緒に共同生活なんてのは、恐怖以外の何物でもなかったでしょうね。 それに対して死刑の場合は、刑の執行があるまで独居房で生活します。他の死刑囚と同房で共同生活をするわけではありませんから、仮に虚勢(口では何とでも言えます)であっても、お山の大将を維持できます。 被告にしてみたら、第一の犯行だけでは、懲役刑になるし、懲役刑では、そういう恐怖を味わう毎日が待っているので、懲役刑になりたくなかった。もう、指名手配されているので、逃げ切るのも難しいし、懲役刑にならないためには、死刑になるしかないので、被害死者数、被害者数を増やし、罪が重くなり、刑罰が死刑になるように、第二の犯行を計画した。 「懲役刑になりたくなかった」だと、自分の弱い心を見透かされることになるので、「死刑になりたかった」と表現しているように感じますし、「死刑が最後の救い」の言葉も理解できます。 本件の量刑が何になろうと、被告にとって最初で最後になる事件ですから、次はありません。 懲役刑になるような事件では事件を大きく取り上げられませんし、名を残せませんので「死刑になりたかった(懲役刑になりたくなかった)」というのも考えられます。 でも・・・ もし、そうだとすると、被告は死刑という刑罰に対して、大きな勘違いをしている。 死刑は言うまでもなく、死ぬ刑なので、吊るされ、絶命し、そのままで5分間放置されて、刑が終了するけど、死刑の執行自体は、最後のセレモニーだと言うこと。 死刑には、誰も手も口も出さないのに、死刑囚に与えることができる、隠れた罰があるということ。 執行は、法によって大臣署名後5日以内だけど、死刑囚に対しては、当日、直前言い渡しだから、死刑囚にしてみたら、土日、祝祭日、年末年始以外は、いつ執行があってもおかしくないのが死刑執行。 執行可能な日の午前中、いつ自分にお迎えが来るか分からないという不安や恐怖感を持ち続けて生活していかなければならない。 そういう精神状態を刑が確定してから、執行されるまでの期間中ずっと続けていくので、死刑囚自身の精神が極限状態になっていく。 極限状態を続けると、発狂して心神喪失状態(廃人)になる場合もあるが、すぐにそうなるわけではない。死刑囚が精神疾患に罹ったと思われる場合には、治療して死刑執行可能状態にする。 死刑という罰がゆえに、死刑囚自身が自分の気持ちと戦わなければならないのです。 いくら早期執行を願ったところで、無理。今日の時点でも、未執行の死刑囚が99人いる。基本的に確定順だから、どんなに早く執行されたとしても、何年かは、その隠れた罰を受けることになる。 茨城だから、死刑が確定すれば、東京拘置所の死刑囚専用の独居房に入ることになるが、同一フロアは、すべて死刑囚。東京拘置所は死刑囚の人数も多いが、死刑になりたくなくて死刑になっている死刑囚も多くいる。そして、独居房と言うだけで、他房の音や声は聞こえてくるし、消灯時間でも薄明かりが灯る24時間監視付の部屋。死刑囚専用フロアは、独特な雰囲気があるフロア。 口では、何とでも言えるから、虚勢も張れるが、身体は正直。 精神的ショック(ストレス)が原因の血管迷走神経反射失神を公判中に起こしてくれた。 自分がしたことの証拠画像を見ただけで失神するくらいの精神力でも、死刑が確定し、東京拘置所の死刑囚専用フロアに移送され、独居房の生活を長く続けたら、好むと好まざるに関係なく、隠れた罰の精神的苦痛に耐えなければならない。 どれほどの精神的苦痛かは、死刑が確定したら、被告自身が体験するから、その時になれば、分かると思うけどね。。。 |
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何故、死刑の可能性があるような犯罪行為を犯したのか? |
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被告は、自分が強く、偉大な人間でなければならないと思い込んでいますが、誰にも認められないので、被告の心理では、その強さや偉大さを第三者に対して誇示して第三者からそういう人間だと認めてもらいたくなります。 ですが、被告がいくら誇示しようとしても、強さや偉大さを誇示できるだけの物を、持ち合わせていません。 ただ、被告にしてみれば、結果的に強さ、偉大さを誇示できれば、仮にした行為が、良いことでなく、悪いことでも関係ないので、「自分は、強く、偉大な存在なんだから、第三者の生殺与奪権を持っている。人を殺しても構わない。」と考え、殺人行為を犯して自分の強さ、偉大さを誇示したように感じます。 道具(刃物)を使って、無抵抗な者に対して殺傷行為をするなんてのは、決して強いことの証明にならない非常に屈折した自己中心的な考え方なのですが・・・ 被告は、己の小ささ弱さを自覚したくないので、自分を大きく強く見せたいために、殺人行為をした形になります。 自己愛性人格障害 診断基準の要件に照らし合わせると、6番目の「人間関係で相手を不当に(自分自身の目的を達成するために他人を)利用する。」という要件に当てはまり、自分の強さ偉大さを誇示するために、被害に遭われた方々の身命を利用したということになります。 そして・・・ 自分が強く、偉大な存在であるためには、自分が死んでも名を残す必要があります。 「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」ということわざがあります。 ちなみに、虎は死後に立派な毛皮を残し、人は生前の名誉によって死後にも名を永く残すという意味なのですが・・・ 人の場合には、名誉なことでなく、不名誉なことでも名は残ります。 今はネット全盛で、事件報道もネットに配信され、容疑者、被告の氏名がウェブ上に多く残ります。微罪でも容疑者被告にニュース性が高ければ記事として多く配信されますが、一過性のもので、時間の経過と共に少なくなっていきます。 ですが、容疑者(被告)が事件前まで無名な者であっても、世の中の注目を集め、記事に自分のことが大きく取り上げられ、記事(名前)が残る場合があります。それは、死刑判決になるような事件を起こした場合で、実際に死刑判決が下りた場合です。 死刑になるような重い罪を犯した犯罪者は、生前の不名誉な行為によって、死刑執行後の死後にも永く名を残すことになるのです。 |
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死刑願望がある被告に対して、刑罰としての死刑は有効なのか? |
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罰は、犯した罪に対して下されるものです。 被告が死刑になりたかろうが、被告を総合的に判断して死刑が止むを得ない場合でないと死刑判決は下りませんし、いくら被告が死刑になりたくなくても、被告を総合的に判断して死刑が止むを得ない場合なら死刑判決が下されます。 本件の被告は、死刑適用基準に照らし合わせても要件を満たし、死刑が止むを得ない場合になるような殺人行為を計画的に起こしています。 被告に死刑願望がありますので、死刑判決の場合には、被告の思い通りになったように見え、死刑が懲らしめにならないような印象を受けがちなのですが・・・ この被告に関して言えば、例え死刑願望を持っていようが、死刑判決が有効になります。 死刑は、死刑判決が確定してから、執行に至るまで、死刑という刑が持っている隠れた罰によって、長期間精神的ストレスを溜め続けていきます。その結果、自律神経系が影響を受け、精神疾患になりやすくなるので、逆に、精神的に持ち堪え、健康体を維持するのが大変になるのですが・・・ この被告は、自分の弱さを認めたくなく、強い、偉大な人間でなければならないと思い込んで、虚勢を張っていますから、自分自身に対して相当な精神的ストレスをかけている状態になっています。 そして、その状態に対して、今度は、無言の死刑独特のストレスが外から加わります。そのストレスから逃れようとしても、虚勢を張れば張るほど、自分自身に対して無理をさせることになりますので、(人間の身体のメカニズム上)嫌でもストレスが増大していきます。 東京拘置所の死刑囚専用フロアの独居房において、刑の執行がされるまで、延々と、そういう状況下に置かれますから、その間に味わう精神的苦痛は計り知れないものがありますし、その精神的苦痛は、自分で自分を追い込んでしまうので、生き地獄と言っても過言でないくらいです。 死刑になりたくない場合には、死への恐怖もストレスになりますが、虚勢を張って自分に対してプレッシャーをかけるのも同様にストレスになります。 ですので、ストレスを蓄積してしまって許容限度を超えると、自律神経系に影響を与えるという点では結果的に同じことになるのです。 死刑という刑罰は、死刑執行までに地獄のような苦しみ(生き地獄)を味わうのですが、被告の思考パターンを推測すると、考えていないように見受けられますので、実際に死刑が確定し、自分自身で体験するようになって初めて分かるのじゃないかな?と思います。 体験するようになってからでは遅いのですが・・・ 現時点までに、そういう想像力が欠如していますし、どこまでも虚勢を張っていくでしょうから、どうしようもありません。 もし、死刑が確定すれば、遅かれ早かれ嫌でも体験することになりますが・・・ はたして執行まで精神的に持ち堪えれるのか・・・? 私には疑問ですね。。。 |
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控訴提起期間について |
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死刑判決を受けたら、普通は、控訴、上告など、上訴をして、判決が確定するのを少しでも遅くなるようにしようとするのですが・・・ この被告は死刑願望で殺人行為をしています。少しでも早く死刑執行して欲しいと言っているのですから、当然のように死刑確定も早くしたいと動こうとすると思います。 刑事訴訟法には、以下の条文があります。
控訴審に上訴しないで確定させる場合は、控訴提起期間が14日ありますから、15日目の午前0時になります。非控訴の場合は、15日目になるまで、ひたすら待つ形です。 ですが、控訴を取り下げると、もう、その事件での上訴は出来なくなりますので、取下げをした時に判決が確定します。 ですので、非控訴の場合よりも、即日控訴・控訴取下げの方が、早く判決を確定させることが可能になります。 本件は、弁護側が即日控訴して受理されていますから・・・ 取下げが出来る状態になっています。 近いうちに被告人が控訴取下げをして判決を確定させようとすると思いますが・・・ 刑事訴訟法には、以下の条文もあります。
死刑や無期刑は、取り下げても、提起できる権利の期間が有効のままですから、取下げが有効になるのは、提起期間終了の翌日、15日目午前0時になり、本件は、判決が12月18日ですから、15日目の午前0時は、1月2日の午前0時になります。 あら・・・ 提起期間末日が、元旦になる。
ということは、14日目が算入されなくて、1月3日の次の1月4日が14日目になり、1月5日午前0時に確定ですね。 死刑判決故に、仮に近い内に控訴を取り下げても、非控訴であっても、来年の1月4日に取下げても、確定日は同じ1月5日の午前0時になります。 早く確定するどころか、3日余分にかかっています。 最初からこの状態ですからね。。。 死刑確定者になれば、東京矯正管区ですから、これまでの水戸拘置支所だったのが、東京拘置所に移送され、死刑囚ばかりがいる死刑囚専用舎房に変わります。 死刑確定者の身分(死刑判決を受けた未決者も確定者に準ずる)は、これまでの未決者の身分とは全く違いますが・・・ 実際にそういう状態になってからでないと分からないのかもしれないですね。 自分が愚かだったということを・・・ |
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被告の裁判での判決状況 | ||||||||||||||
罪名で略してあるのは銃刀法違反の罪になります。 | ||||||||||||||
水戸地裁での判決要旨 (2009/12/18) |
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氏名 | 罪名 | 第一審 | 控訴審 | 上告審 | ||||
求刑 | 判決 | 裁判所・日付 | 判決 | 裁判所・日付 | 判決 | 裁判所・日付 | ||
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金川真大 | 殺人などの罪 | 求刑死刑 | 死刑 | 水戸地裁 2009/12/18 |
控訴取下 | 東京高裁 2010/01/05 |
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死刑執行 |
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死刑囚3人に対し2013年2月21日にそれぞれ死刑を執行したと、法務省がこの日明らかにした。 茨城県土浦市の9人殺傷事件の金川真大(29)、奈良市の女児誘拐殺害事件の小林薫(44)、名古屋市のスナック経営者殺害事件の加納(旧姓・武藤)恵喜(62)の3死刑囚。執行は12年9月以来で、現在の安倍政権での執行は初めて。谷垣禎一法相は会見で、「いずれも誠に身勝手な理由からの犯行で、きわめて残忍」などと執行理由を説明した。 |
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